プロフィール

リッキー・リー・ジョーンズ

 これからあなたが読むのは、同世代で最高のソングスタイリスト兼ソングライターであるリッキー・リー・ジョーンズを主演の、クローズアップとフェードアウトを駆使したある種のドキュメンタリー映画のようなものと考えて欲しい。

 この映画の中では、現在住んでいるワシントン州タコマの鄙びた地区の通りを歩くリッキー・リー・ジョーンズの顔、彼女の特徴のある口、肩を超える長さの豊かな金髪が見えてくる。時は春。彼女は靴を履いておらず、ギターを抱えている。頭上の空は雲母のように光っている。ジョーンズが腰を下ろす場所を探し、太陽の下でギターを弾くと、現在の彼女の生活のあらゆる側面がフレームインして彼女の注意を引き付ける。その時ジョーンズは微笑み、耳を傾け、思いを巡らす。娘のシャーロット・ローズ、ジョーンズの母、兄弟、何人かの友人が見える。これらの人が全員、主役であるリッキー・リー・ジョーンズの周りを行き来する。彼女はギターを弾き、「Chuck E.’s in Love」や1990年にグラミー賞を受賞した往年の名曲のカバー、「Making Whoopee」等の曲を歌う。

 リッキー・リー・ジョーンズが歌っている間、ナレーションが聞こえる:リッキー・リー・ジョーンズは、ウェールズとアイルランドの血を引く3人の娘と一人の息子のうちの2番目である。彼女は1954年11月8日、イリノイ州シカゴで生まれた。彼女の両親、リチャード・ロリス・ジョーンズとベティ・ジェーン・ジョーンズは、2人とも各地を転々としながら幼少期を過ごした:父親は短期滞在型ホテルでその日暮らしをし、鉄道に乗って国内を渡り歩いた。母親は孤児だった。ジョーンズは自分の家族を「下位中流階級のヒルビリー・ヒップスター」と表現している。

 故ジョーンズ氏は芸人であり、ウェイター、家具運搬人、庭師としてその収入を補った。(リチャード・ジョーンズの父親はペッグレッグ(義足)ジョーンズという名で知られた、ヴォードヴルと巡回カーニバルの片足のダンサーであった。ジョーンズは父方の祖父について、「祖父の芸を宣伝する広告の切り抜きを持っているけど、ミルトン・バールの名前より祖父の名前のほうが大きいわ」と語っている。)ベティ・ジョーンズはウェイトレスとして働き、後に看護師になった。

 リチャード・ジョーンズは失業中に、音楽好きな娘に歌い方を教えた。そのためジョーンズは、父親が彼女のために書いた子守歌「The Moon is Made of Gold」を初期のコンサートでよく歌っていた。彼女の家族はかなり困窮した生活をしており、 彼女が高校に入学するまでには、ジョーンズはシカゴ、ロサンゼルス、アリゾナ州フェニックス、ワシントン州オリンピアを転々とした。どうやらリッキー・リー・ジョーンズは非常に孤独な子供だったようだが、兄のダニーとは特に親しかった。それでも彼女は、架空の友人や遊び仲間のいる独自の世界をより好んだ。インタビューでベティ・ジョーンズは、娘の架空の遊び仲間は「バシュラやスロウビースロウのような奇妙な名前」を持っており、「(リッキーは)その仲間を教会に連れて行っていたものよ」と語った。

 リッキーの兄ダニーは、16歳の時バイク事故によって片足を失い、半身不随となった。当時リッキーは叔母と暮らしていたが、病院にいる兄を頻繁に見舞った。彼女の母親は、病院のエレベーターでジョーンズが歌っていたのを覚えている。「病院中で歌声が聞こえてね」とベティ・ジョーンズは言う。「それまで聞いたこともないほど不気味な歌声だったわ。」

 リッキーが14歳の時、彼女はアリゾナで父親と一緒に暮らしていた。ジョーンズはインタビューの中で次のように語っている:「母は私が家出するのではないかといつも恐れていて、それが辛くて耐えられないので、母が私を父の元に送ったのよ。」その頃には両親は既に離婚していた。ジョーンズは、一度父親の家から逃げ出したことを思い出す。それは、奔放な想像力を持つ自分の若い娘、彼女の芽生え始めた性的関心やカリスマ性、強力な才能を父親がコントロールしようとした結果のことであった。1979年のローリングストーン誌の特集記事インタビューで、ジョーンズは次のように語っている:「自分がいつ家出するかなんて全然分からなかったわ。養護施設に向かって歩いているかと思えば、急に親指を立てて、ヒッチハイクで3つの州を渡り歩いたかもしれないしね。」
ここでリッキーは、トム・ロビンズの古典小説「カウガール・ブルース」の主人公のシシーに似ている。これは、ここではないどこかに車で連れて行ってくれる見知らぬ人の優しさを通して世界を見つけようとする少女の物語である。
10代半ばにオリンピアに戻って高校を卒業した後、ジョーンズはさらに歌を歌うようになった。自分が保管している小さなノートに歌詞も書いた。時には気晴らしのために「ウエスト・サイド物語」の全曲を歌った。

 19歳になるまで、ジョーンズはウェイトレスとして働きながら、また人もまばらなコーヒーショップやバーで時々音楽を演奏しながら、ロサンゼルスで暮らしていた。その間彼女は独自の美学を発展させていった。それは、時には語りかけるように、またしばしば美しく歌われ、心に訴えるような音楽であったが、その一方で彼女は、偉大な米国の詩人・エリザベス・ビショップの詩を彷彿とさせる、緊張感が漂う複雑な歌詞を書いていた。彼女の声と歌の中には、煽情的な雰囲気の女性像や決して報われない恋が感じられた。ジョーンズの曲「Easy Money」が一人のミュージシャン、そして音楽業界に注目されたのはこの頃のことである。この曲は、リトル・フィートというバンドを結成したローウェル・ジョージによってレコーディングされた。彼はこの曲を自身のソロアルバム「Thanks, I’ll Eat It Here.」に収録している。ジョーンズはワーナー・ブラザーズのオーディションを受け、直ぐにこのレーベルと契約した。
リッキー・リー・ジョーンズは、ワーナーが1979年にリリースした「Rickie Lee Jones」で、グラミー賞の最優秀新人賞を受賞した。彼女はある批評家からは、「鳴り物入りで登場した新しいポップジャズのシンガーソングライター」、また別の批評家からは「同世代の最高のアーティストの一人」と称された。格別な「On Saturday Afternoons in 1963」、心に残る「Last Chance Texaco」、人気の「Chuck E.’s in Love」等、アルバムの素晴らしい歌に加えて、ジョーンズは、その生活を若い男女が盛んに大いに模倣する人物となっていった。彼らは、ジョーンズの深く、個人的で、風変わりな人生と作品に、新世代のヒップスターのモデルを見出したのである。彼女は服装(ベレー帽、奔放な服装、ハイヒール)やライフスタイルのトレンドセッターとして歓迎された。この状況は、彼女の手助けで有名になった2人の少年 – ロサンゼルスをベースにするチャック・E・ワイスとシンガーソングライターのトム・ウェイツ- との当時有名であった関係が彼女にもたらしたものである。トム・ウェイツについて、ジョーンズは次のように語っている:「私たちは同じ通りの周辺を歩いているの。私たち2人にとっては、主にジャズのためにこういう状況になったのだと思うわ。私たちは人生のジャズ側を歩いているのよ。」

 「Rickie Lee Jones」のリリースから2年後、「Pirates」(ワーナー)が登場した。これはファーストアルバムよりさらに暗く、より深く、より豊かなアルバムで、心に残る「We Belong Together」や「A Lucky Guy」が収録されている。ジョーンズは、「A Lucky Guy」がウェイツとの生活から生まれた曲であると語っている。

 「Woody and Dutch on the Slow Train to Peking」と「Traces of the Western Slope」の歌詞の中で彼女が織りなす見事な描写は、彼女の声によって更に高まり、時には風が吹く草原を走る列車の寂しい汽笛の音となり、また時には、笑い声が徐々に小さくなり、ささやき声やため息になるようにも聞こえる。このアルバムで期待していた人々は混乱した。ジョーンズは急速に、権力を剥奪された人を謳う詩人になっていき、曲作りに関して、単なる商業的考慮は全くしなくなった。皮肉なことにジョーンズには、彼女が持ってもらいたいと思うアルバムを買ってくれる熱心でコアなファン層が常にある。

 「Pirates」、そしてもちろんジョーンズの全アルバムでは、彼女が語る全ての言葉にリスナーが耳を傾ける必要がある。これは、ほとんどのポピュラー音楽とは異なった特徴である。彼女はいつも他のアーティストとは違っている。なぜなら、彼女は作り込まれた歌を通じてだけでなく、純粋な音を通じて意味を伝えるからである。こうして彼女は、トリッキーや彼のリードボーカルであるマルティナ(彼らはシンガーの声の質感に合わせてリフを演奏する)のような革新的な現代のアーティストの先駆的役割を果たした。ジョーンズのボーカル作品はまた、ビリー・ホリディからローラ・ニーロまでの初期世代の偉大なシンガーソング・スタイリスト(彼らは、自分の実体験による観点から私たちに現実を受け入れさせることに専心していた)を想起させる。

 1983年、ジョーンズはミニアルバム「Girl at Her Volcano」(ワーナー)をリリースした。タイトルはマルコム・ローリーの傑作自伝小説「Under the Volcano」からインスパイアされたものである。このアルバムは ポップ・スタンダード(レフト・バンクの「Walk Away Renee」)やジャズ・スタンダード(ビリー・ストレイフォーンの「Lush Life」)が豊富にセレクトされていた。このアルバムは、喜び、憂鬱、快活さが交互する神秘的な感情領域を散歩するような、危うい感情が見てとれる。実際にこのような資質は、リッキーのその後の2枚のアルバム- 1984年の輝かしい「The Magazine」(ワーナー)と1989年の「Flying Cowboys」(ゲフィン)- の中で繰り返し見られる。この2枚のアルバムは音楽業界の期待を再び裏切った。 リッキー・リー・ジョーンズは、「The Magazine」(1997年の革新的作品である「Ghostyhead」より以前の作品である革命的な「Rorschachs: Theme for the Pope」が収録されている)で、自身のそれまでの芸術の極限に達した。旅により効果を高めて始まる純粋で洗練されたこのアルバムは、組曲と見なすのがベストである。「The Magazine」では、少女がマンハッタンのアルファベット・シティまで歩いて行ってホームレスと話をする。彼女はホームレスとは別の存在であり、同一の存在でもある。「The Magazine」では、ジョーンズはその場面について伝えているが、自分自身はその場面の中にいる。これは、都会の疎外感について謳った最後から2枚目のアルバムであり、我が道を行くことに内在する詩的レトリックのアルバムである。

 一方「Flying Cowboys」は、最初は全く別人の作品のように見える。その中でジョーンズは世界に執着している。以前ほど孤立していない。アルバムがリリースされる前、ジョーンズは休暇中にタヒチで知り合ったフランスのミュージシャンPascal Nabet-Meyerと結婚した(その後離婚)。彼女は娘のシャーロット・ローズを生み、ちょうどリチャード・ロリス・ジョーンズがその昔自分の娘のために「The Moon is Made of Gold」を書いたように、娘のために感動的な「The Horses」を書いた。
「Flying Cowboys」の発売に続いて、ワールドツアーがソールドアウトとなった。1991年に待望のジャズアルバム「Pop Pop」をリリースしたとき、ジョーンズは、自分がなりたいと望んだアーティスト(ショービジネスの伝承やカーニバルの世界の明るい光と暗い心の濃厚な歴史を持ち、旅に出たら後ろを振り返らないアーティスト)になったことで、自分が脱却した伝統に敬意を払った。ジョーンズがそのアルバムを書いたとき、アルバムは「通常のピアノ、ベース、ドラムセットのジャズとは完全に異なるジャズの取り扱い」であった。つまり、ジョーンズは、ジャズスタンダードの音を脱標準化させることによって、また、彼女の定番のカバー曲「My Funny Valentine」やフランスのダンスミュージックのような古い形式に対する直接的な解説のように聞こえる陽気で悲しい「Hi-Lily, Hi-Lo」等の、よく耳にする歌の中心にある感情の核を見つけることで、ジャズスタンダードの音を改革したのだった。あらゆる作家やアーティストのように、ジョーンズは個人的にそして芸術的に進化する。人はお互いに協力して仕事をするものだ。 1993年の「Traffic from Paradise」(ゲフィン)は、全員女性のクルーで制作、ミキシング、レコーディングされた。このアルバムは、熱心なフェミニストというより、むしろありのままに成長して、「アーティストとして、また女性としての傷つきやすさが、慣習は自分にとって全く問題ではないように見せてくれた」とかつて語った女性のエネルギーを持っている。そして事実、その裸の状態- 時にはほとんど耐えられないほどの- こそが、1995年の「Naked Songs」(レプライズ)の特徴である。これは恐らく、その異常なまでの親密さゆえに、これまで制作された最高のライブアルバムである:オーディエンスが全ての音に一心に耳を傾けているのが聞こえる。サンフランシスコのフィルモアで2晩かけてレコーディングされたこのアルバムは、「The Magazine」と「Last Chance Texaco」の驚異的な演奏を含むジョーンズの自作曲のみで構成されている。このアルバムは回顧的というより過去に対するある種の報い-過去と現在の完璧な融合-である。ちょうど、ジョーンズのソングライター、ソングスタイリスト、レコーディング・エンジニアリングとしてのスキルの融合によって「Ghostyhead」(1997)がリリースされたように、「Naked Songs」の体験の蓄積がリスナーの心を揺さぶっている。

 「Ghostyhead」は、輝かしい過去と豊かな現在に安住するだけの十分な名声を持ったアーティストという、リッキー・リー・ジョーンズがなろうとしていたアーティストの考えから逸脱している。彼女は再び、オーディエンスの期待を再定義する。「Ghostyhead」-これを聴いて得る感動は、画家ジョージア・オキーフによる最上級に厳格で美しいキャンバスを見て得るものと同等である-では、ジョーンズは、極めてオリジナルな想像から生まれる新しい音の世界を常に探求することに一人で立ち向かっている。「前にも後ろにも恐怖はない。私たちは最善を尽くす。」とジョーンズは書いている。これは彼女の信条であり、私たちへの贈り物である。そして彼女は続ける。

 ヒルトン・アルス 芸術ルネサンス: 2002年以降 「Ghostyhead」の後、ジョーンズは公の場からほとんど姿を消して、スランプと戦っていたことを認めた。ほとんどの時間をワシントン州オリンピアの自宅で庭いじりをしたり、10代になった娘シャーロットの子育てをしたりして過ごした。 独立系レーベルV2 から2003年10月にリリースされた「The Evening Of My Best Day」は、ジャズ、ケルト民族音楽、ブルース、R&B、ロック、ゴスペルの影響を受けており、長期間に渡るツアーが成功を収めた。このアルバムの最高位は、米国ビルボード200のチャートで189位である。このCDは、明らかに万人受けする姿勢(彼女はこれを猛烈に避けようしていたように見える)から彼女のキャリアを遠ざけることになった。彼女は「It Takes You There」を演奏してもらうため、パンクベースのレジェンド、マイク・ワット(ミニットメン、イギー・ポップ)を招待した。一方、「Ugly Man」では、ヒュー・マセケラのアレンジによる国歌のような演奏(彼女は「Black Panther horns」呼ぶ)と、「revolution, everywhere that you're not looking, revolution」という革命への呼びかけで、ジョージ・ブッシュ政権を直接的な標的とした。
ジョーンズへの新たな関心は、CD3枚組のアンソロジー「Duchess of Coolsville」のリリースにつながった:アンソロジーは再発盤に定評のあるレーベルのライノから2005年6月にリリースされた。豪華なパッケージ、アルファベット順に並ぶアルバムの歌、ライブ、カバー、デモ、ジョーンズと数人の共同制作者によるエッセイ、ランディ・ニューマン、 ウォルター・ベッカー、クインシー・ジョーンズ、トーリ・エイモスをはじめとするアーティストからの賛辞。
また2005年にジョーンズは、恋人であり共同制作者であるリー・カンテロンの本「The Words」の音楽バージョンへの参加に招待された。「The Words」はキリストの言葉を簡単な章とテーマ別に語り直した本である。カンテロンの考えは、プライマル・ロックをバックに、様々なアーティストに本文を朗読してもらうことであった。しかしジョーンズは、今まで誰もしたことがないことを試みようとした:キリストの言葉を読む代わりに、意識セッションの流れの中で、本文、メロディー、歌詞について自分の印象を即興で語るというものである。

 セッションは、カルバーシティのExposition Boulevardにあるアーティストのロフトでレコーディングされた。カンテロンがプロジェクトを完了できそうになくなったとき、ジョーンズが自分自身のレコードとしてそれを引き継ぎ、サンセット・サウンドで制作を完成させるため2007年にロブ・シュナップフを雇った。その結果が、「The Sermon on Exposition Boulevard」であり、2006年2月に独立系レーベル、New West Recordsからリリースされた。このアルバムには、映画「セックス・アンド・マネー」(2006年)のサウンドトラックとしてレコーディングされた「Circle in the Sand」が収録されている。この映画の中でジョーンズは「Hillbilly Song」も歌っている。「The Sermon on Exposition Boulevard」はビルボード200チャートで初登場158位、Top Independent Albums チャートで12位を獲得した。作家アン・パワーズは、2007年のグラミー賞に値するCDとしてこのアルバムを彼女のリストに含めている。 次のプロジェクトとしてジョーンズは、1986年(「Wild Girl」)まで遡って書きかけの歌を完成させ、新曲(2008年に書かれた「The Gospel of Carlos」、「Norman and Smith」、「Bonfires」)を含めることを決めた。長年の共同制作者であるデビッド・カリッシュ(ジョーンズは1981年の「Pirates」で初めて彼と一緒に制作を行った)と緊密に協力して、ジョーンズは「Balm in Gilead」をファンタジー・レーベルから 2009年11月にリリースした。このアルバムには、彼女の父親リチャード・ロリス・ジョーンズが1954年に書いた「The Moon Is Made of Gold」の新録音も収録されている。ベン・ハーパー、ヴィクトリア・ウィリアムズ、ジョン・ ブライオン、アリソン・クラウス、故ヴィック・チェスナット達が、アルバム制作に貢献した。2010年5月、ビビッド・フェスティバルの一環として、ジョーンズはシドニー・オペラハウスのステージに立った。
2012年 9月18日、ジョーンズはコンコード・レコードから「The Devil You Know」をリリースした。「The Devil You Know」には、高名なミュージシャン、ベン・ハーパーがプロデュースしたカバー曲のコレクションが収録されている。 2014年、10年以上ぶりに書いた新作品のレコーディングやミュージシャン、制作にかかった費用を補うため、リッキーはプレッジミュージック・キャンペーンを開始して大成功した。2015年6月、ジョーンズは「The Other Side of Desire」をリリースし、このアルバムは高い評価を得ている。

チケット

S席
¥10,800-
(全席指定・税込)
A席
¥9,800-
(全席指定・税込)

※未就学児童入場不可 ※チケットはお一人様一枚必要です。

チケット一般発売日:3月1日(金) 予定

WEBチケット予約 特別電話チケット予約

※特電受付期間:1月15日(火)00:00~1月31日(木)23:59

大阪公演

主催:キョードー関西 / キョードー東京 / キョードー東京インターナショナル / 朝日新聞 / ぴあ
後援:WOWOW / FM COCOLO /タワーレコード / NME JAPAN 協力:ワーナーミュージック・ジャパン

東京公演

主催:キョードー東京 / キョードー東京インターナショナル / 朝日新聞 / ぴあ
後援:WOWOW / J-WAVE / InterFM897 / 文化放送 / タワーレコード / NME JAPAN
協力:ワーナーミュージック・ジャパン / NME JAPAN

招聘・企画制作:キョードー東京インターナショナル